ミッドサマー、ダニーの救済と私がTwitterやってて感じる不安

ミッドサマー今日見に行ったんですが面白かったのでネタバレ全開で語ります。語らせて。

 

最後の主人公ダニーの笑み含め、示唆に富むエンディングで映画館から出る時「カルト宗教こええ」という人がいたり「アレはアレでアリじゃない?」とか言ってる話し声が聞こえたり。ダニーに感情移入して見てた人には、肉親が死んで大変な時に全然助けてくれないクソ彼のクリスチャン燃えてちょっとスッキリしてホルガ村のほうが現実社会よりマシなんじゃないとか思った人もいただろうなと思いつつ、でもラストの描写見てるとカルト宗教に入っても個人の抱える苦痛からは結局救済されなさそうだなとおもいつつ帰りました。

感想は2点、①僕がエンディングのダニーについて思ったことと、②映画見て思った同じ価値観で集まったコミュニティの怖さというか俺もホルガ村に片足突っ込み始めているのではというTwitterやりながら感じている漠然とした不安 について語ろうと思います。

 

①ダニーの救済

冒頭から、肉親も死んでどうしようもない寂寥感を抱えるダニーと、その場その場は優しい言葉かけるけどダニーの苦悩を抱える気はないクリスチャンの描写が繰り返されてて、

ダニーかわいそうになりますがクリスチャンもダニーへの気持ちは正直離れてるようにしか見えないし、それより論文テーマも決まってないしそっちが気になってしょうがないくらいに見えます。

別れたら?と言いたいくらいですがダニーはクリスチャンを手放して更に寂しくなるの嫌でしょうし、クリスチャンもこのタイミングで別れよ!言うのも罪悪感で気がひけるから分かれるまで行かずなんとなく続いてる関係なんでしょう。

対してペレはダニーに優しい言葉もかけるし、誕生日に似顔絵描いたりペレなりのダニーへの思いを感じますがペレはホルガ村星人なので「ダニーの家族を失ったことに対する寂寥感」について全然分からないし、むしろ「家族」「家族」と連呼してダニーの具合を何度も悪くさせます。辛いことは分かっても、家族を失う寂寥感が全然分からないのでしょう。

 

・同じ価値観で育ってはいるが、自分に手を差し伸べてくれないクリスチャン

・自分に手を差し伸べてくれるが、価値観が違いすぎて同じ感情を全く共有できないペレ

 

の対比がダニーにとっての「現実」と「ホルガ村」を表していてこの辺この映画でとってもいいなーと思いました。

ある意味では、ダニーにとって彼氏ではない新たな安息の地を得た安らぎみたいなのもあってラストの笑みはきっと彼女の心からの笑顔なんでしょう。

 

ただ、あの笑みは酷く個人的な救済の笑みでありホルガ村価値観とは相入れないというか、ホルガ村的正解で行くとあそこは「みんなで苦痛の声をあげる」なので結局彼女はどこまで行っても個人であることを捨てられないように見えます。幻覚の中でも彼女は失った家族の顔を見ていますし、その顔も全然笑っていませんでしたし意識下のレベルでも家族を失った寂寥感からは逃れられず、それを一時的に癒すのが彼氏からホルガ村に移ったに過ぎないのかなと思ったり。

本質的な救済なんて自分にしかできないから一時凌ぎの対象が別にホルガ村でもいいでしょ〜というのも真っ当な意見と思うのですが、ミッドサマーの儀式に深く関わった彼女がホルガ村から出るのは多分許されないと思うし、個であることを捨てられない彼女はどこかでホルガ村に馴染めなくなるけど、出れないんだろうなという感想を抱きました。

 

あと彼女がホルガ村でも個人であることを捨てられないのが「パニック障害という極めて個人的な苦痛・恐怖を味わう病気にかかっている」という理由づけがあってうまいなと思いました。パニック症状発する彼女に対してホルガ村の住人ができたの「とりあえずベッドに寝かす」「ダニーと同じ顔して叫ぶ」しか出来なかったところにホルガ村の救済の限界を感じて唸りました。

 

Twitterやりながら感じる漠然とした不安

ミッドサマーの他の人の感想見てたときに「アセクシュアルの人間にはホルガ村は生きづらいと書いてあったけど、当事者の私にとっては一般社会でも生きづらいし一般社会もホルガ村も大して変わらん」という呟き見て少し感じいる所があったのですが、

 

同じ価値観の人間で集まって騒ぐのめっちゃ居心地いいし楽しいけど、そのコミュニティ外の人間から見ると排他的・独善的にしか見えないことがままありTwitterみたいなSNSに見えて分断された小集落でどっぷり生活やってると外から見たらニコニコ楽しいホルガ村、みたいなこともあるんだろうなーとか考えたり。

SNSではミュートやブロック手軽にできるけど、現実社会では生きてる人間をミュートやブロック出来ないので価値観を共有し得ない相手といかにうまくやっていくかというのも実際問題これからの社会の対人関係のテーマの一つかなと思いました。

分断の進む社会では隣に住んでる人、隣の机の人がホルガ村星人な可能性大いにあるし、自分も気がついたらホルガ村星人になってるかもしれないと思うと割と恐怖感ですね。

 

自分では、ホルガ村星人になっていても気が付けなさそうだし、コミュニティから叩き出される時気がつくのかなーとか、ミッドサマーのラスト、それまでめっちゃニコニコしてたのに火が体について初めて痛がり怯える人を見て思ったりしました。怖いね。